平安京大内裏の蘭林坊(らんりんぼう)があった場所。また、豊臣秀吉の聚楽第があった時代には豊臣秀勝の邸宅があったと推定されている。
歴史・概略
- 延暦13年(794年)、桓武天皇(かんむてんのう)によって長岡京より遷都され、以来1000年に渡って日本の首都となった。この付近には都の中心である大内裏があり、その領域は東西1.2キロ、南北1.4キロに及んだ。大内裏内には天皇の居住区である内裏を始め、数多くの行政機関が立ち並んでおり、この場所は内裏にあたりその建物の一つ蘭林坊(大嘗祭に使用される物品の保管場所)があった。
- 大内裏の建物は出火によって度々焼失し、その都度再建されてきたが、朝廷の衰えとともに次第に荒廃していった。周辺には大内裏の痕跡を示す碑が点在している。
- また、のちに豊臣秀吉の時代になると関白となった秀吉の政庁兼邸宅・聚楽第(じゅらくだい・じゅらくてい)がこの付近に建てられた。聚楽第周辺には武家屋敷が立ち並び、ここには秀吉の姉の子で養子となった豊臣秀勝(とよとみ・ひでかつ)の邸宅があったとされる。
見どころ・おすすめ
- 周辺には大内裏跡を示す石碑や案内板が数多く設置されているのでまとめて回るとよい。
- 現在、目に見える聚楽第の遺構はほとんど残っていないが、周辺には聚楽第跡や武家屋敷跡などがかなり広範囲に存在し石碑も立てられているので、これらを巡ってみるのがおすすめ。
- 大名に関する名前が町名に残っている場所も多く、これらを辿るのも面白い。
関連動画
豊臣秀吉幻の聚楽第 大名屋敷跡を巡る
京都中心部にあった豊臣秀吉の居城・聚楽第周辺にある大名屋敷跡の石碑を巡ってみた#豊臣秀吉#聚楽第#京都
豊臣秀吉幻の城!聚楽第跡地
豊臣秀吉が京都に建てた幻の聚楽第の痕跡を辿る・本丸東濠跡・本丸西濠跡・石垣発掘の地・鵲橋旧蹟・南外濠跡#豊臣秀吉#聚楽第#京都
史跡情報
地図 |
---|
【場所】 京都府京都市上京区土屋町通出水上る 【付近の史跡】
[ 南・約0.1km ] 凝花舎(梅壺)・飛香舎(藤壺) 跡
[ 南・約0.1km ] 平安宮内裏弘徽殿跡
[ 南東・約0.1km ] 平安宮内裏承香殿跡
[ 南東・約0.1km ] 平安宮内裏昭陽舎跡
[ 南東・約0.1km ] 平安宮内裏綾綺殿跡
|
主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「二条」駅から約1.2Km ・地下鉄「二条」駅から約1.2Km 【バス】 ・市バス「千本出水」「千本丸太町」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約8Km |