京都府大山崎町の天王山にあった室町時代の山城。
歴史・概略
山崎の地は、京都と西国を結ぶ出入り口にあたる川と山に挟まれた天然の要害となっており、度々戦乱が起こる地域であった。
天正10年(1582年)、「本能寺の変」で織田信長が討たれた後、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が明智光秀を破った「山崎の合戦」もこの地で行われた。その後、戦いに勝利した秀吉は北陸の柴田勝家に備えるため、山崎城を築城し居城とした。
その後、大阪城や京の妙顕寺城の築城によって山崎城は役目を終え、天正12年(1584年)に廃城となった。
天王山中腹には「山崎の戦い」の際に秀吉の本陣ともなった宝積寺(ほうしゃくじ)があり、別名宝寺(たからでら)とも呼ばれていることから宝寺城とも称される。
- 築城:延元3年/暦応元年(1338年)より以前
- 廃城:天正12年(1584年)
- 築城主:林直弘
- 構造:山城
- 主な城主:林直弘・薬師寺国長・細川晴元・豊臣秀吉
関連動画
YouTube
作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有
史跡情報
地図 |
---|
【場所】 京都府乙訓郡大山崎町大山崎 【付近の史跡】
[ 南東・約0.4km ] 十七烈士の墓(禁門の変)
[ 南東・約0.5km ] 山崎合戦之地(旗立松)
[ 南東・約0.7km ] 宝積寺(山崎の戦い・禁門の変)
[ 東・約0.9km ] 大山崎の東黒門跡(山崎の合戦)
[ 東・約1km ] 山崎津跡
|
主な施設 |
天守台・曲輪・土塁・空堀・井戸・食い違い虎口・石垣 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「山崎」駅 ・阪急電車「大山崎」駅 【マイカー】 ・名神高速道路「大山崎IC」 |