京都 | ページ 3 | 場所と地図 – 歴史のあと

京都

京跡・宮跡

二條富小路内裏址(建武の新政 の地)

京都にあった鎌倉時代の公家の邸宅跡、および内裏跡。 歴史・概略 鎌倉時代中期、藤原氏の一族である西園寺実氏(さいおんじ・さねうじ)が邸宅(冷泉富小路殿)を...
城跡

勝龍寺城本丸跡

江戸時代初期、山城長岡藩の陣屋がおかれた場所。 歴史・概略 勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)の始まりについて確かなことは不明であるが、山城守護の畠山義就が...
発祥・始まり

名神高速道路起工の地

日本で最初の高速道路・名神高速道路が起工した地。また、旧東海道線の山科駅があった場所でもある。 歴史・概略 明治12年(1879年)、京都~大谷間に鉄道が...
墓・慰霊碑

後白河天皇 法住寺陵

平安時代末期に在位した後白河天皇の陵墓。 歴史・概略 鳥羽上皇の第四皇子として生まれ、皇位継承とは無縁な立場で歌に踊りに明け暮れたといわれている。しかし弟...
墓・慰霊碑

明智光秀胴塚

戦国時代最強の革命児である織田信長を謀反により殺害したいわゆる「本能寺の変」を起こしたことで知られる明智光秀の胴塚。 歴史・概略 天正10年6月2日(15...
墓・慰霊碑

明智藪(光秀最後の地)

戦国時代最大のクーデターといわれる「本能寺の変」を起こした明智光秀最期の地。 歴史・概略 天正10年6月2日(1582年6月21日)、京都本能寺において坂...
京跡・宮跡

一条院跡

平安時代中期の邸宅跡、御所跡。 歴史・概略 一条院は大内裏北東に隣接した邸宅で、東西2町(今の堀川通あたりまで)を占めていた。この案内の東側に邸宅、西側に...
邸宅・住居跡

橋本左内寓居跡

江戸時代末期の思想家・橋本左内の寓居(福井藩邸)跡。 歴史・概略 橋本左内(はしもと・さない)は福井の医者の家に生まれ、大坂にある緒方洪庵の適塾で医学を学...
邸宅・住居跡

茶屋四郎次郎屋敷跡

江戸時代の京都の豪商・茶屋四郎次郎の屋敷跡。 歴史・概略 茶屋家は、朱印船貿易や大堰川や高瀬川の舟運を行った角倉家、大判の鋳造を行った後藤四郎兵衛家ととも...
寺社

大仏殿跡緑地公園(京の大仏)

豊臣秀吉が造営した「京の大仏」の大仏殿跡。 歴史・概略 天正14年(1586年)、天下人となった豊臣秀吉は、奈良の大仏に倣って京に大仏の造立を始めた。しか...
寺社

本圀寺跡(足利義昭御所)

京都六条堀川にあった日蓮宗寺院・本国寺(本圀寺)の跡。 歴史・概略 貞和元年(1345年)、鎌倉の地より移転。現在の五条通から七条通、堀川通から大宮通に至...
邸宅・住居跡

西八条第跡(平家一族の邸宅跡)

平安時代末期、権力の座についた平家の頭領・平清盛が京に構えた邸宅跡。 歴史・概略 平氏政権が樹立するきっかけとなった「平治の乱(1159年)」の7年後にあ...
邸宅・住居跡

縣井(京都御苑)

京の名水のひとつ縣井と呼ばれる井戸跡。五摂家のひとつ一條邸跡。 歴史・概略 縣井(あがたい)は染殿井(そめどのい)・左女牛井(さめがい)とともに「京の三名...
墓・慰霊碑

六条天皇陵・高倉天皇陵

平安時代の六条天皇・高倉天皇の御陵。 歴史・概略 六条天皇(ろくじょうてんのう)は、平安時代末期に即位した第79代天皇。二条天皇の皇子で0歳で即位、その後...
邸宅・住居跡

茶屋四郎次郎邸址

京都の豪商・茶屋四郎次郎の屋敷跡。 歴史・概略 朱印船貿易や大堰川、高瀬川の舟運を行った角倉家、大判の鋳造を行った後藤四郎兵衛家などとともに「京の三長者」...
墓・慰霊碑

崇徳天皇御廟

京都に建てられた崇徳上皇の御廟。 歴史・概略 崇徳天皇(すとくてんのう)は、平安時代末期に在位した第75代天皇。白河法皇や鳥羽上皇の院制下において即位、後...
発祥・始まり

八ッ橋発祥之地(京都熊野神社)

京都の名物和菓子・八ツ橋が生まれた地。 歴史・概略 元禄二年(1689年)、黒谷(金戒光明寺常光院)に眠る江戸時代の筝曲者・八橋検校(やつはし・けんぎょう...
古戦場

千種忠顕戦死之地

南北朝の動乱が始まるきっかけとなった「延元の乱」において戦死した千種忠顕の碑。 歴史・概略 千種忠顕(ちぐさ・ただあき)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期...
墓・慰霊碑

仁明天皇 深草陵

平安時代初期の仁明天皇の御陵。 歴史・概略 仁明天皇(にんみょうてんのう)は、平安時代前期に即位した第54代天皇。嵯峨天皇を父に持ち、叔父にあたる淳和天皇...
寺社

慶長天主堂跡

江戸時代初期、京都にあったキリスト教の天主堂跡。 歴史・概略 キリスト教は、戦国時代末期に日本に伝来して以来、織田信長の庇護のもと、布教によって多くの信者...