京都 | ページ 5 | 場所と地図 – 歴史のあと

京都

邸宅・住居跡

西陣舟橋(高師直邸跡)

その昔、ここを流れていた堀川に何艘もの舟を浮かべ、その舟同士を繋いで橋代わりとした舟橋があったといわれる。また、室町時代初期には政権の実力者であった高師直の屋敷...
邸宅・住居跡

水戸藩邸跡(京都)

江戸時代、京都に置かれた水戸藩邸跡。 歴史・概略 水戸藩の石高は28万石、常陸の水戸城を藩庁とする。藩祖は徳川家康の子・頼房で徳川御三家のひとつ。水戸徳川...
京跡・宮跡

持明院仙洞御所跡

平安時代から室町時代にかけて藤原氏の邸宅、および天皇退位後の御所として使われた屋敷跡。 歴史・概略 持明院(じみょういん)は平安時代後期、陸奥守・鎮守府将...
墓・慰霊碑

小野篁・紫式部の墓

「源氏物語」の作者とされる紫式部の墓。平安時代の公卿・小野篁の墓も並んで立てられている。 歴史・概略 紫式部(むらさきしきぶ)は、平安時代の中頃活躍した歌...
邸宅・住居跡

平清盛終焉推定地・高倉天皇誕生地

平安時代末期、平清盛の側近として活躍した平盛国の邸宅跡(推定地)。この邸内で平清盛が没したとされる。 歴史・概略 碑文 「此付近 平清盛終焉推定地」 「平...
京跡・宮跡

閑院内裏跡

京都府京都市にあった平安時代から鎌倉時代にかけての藤原氏の屋敷、および里内裏跡。 歴史・概略 平安時代初期の公卿・藤原冬嗣(ふじわら・ふゆつぐ)が屋敷を置...
邸宅・住居跡

二条殿御池跡

京都にあった皇族や公家の邸宅跡。安土桃山時代には織田信長の屋敷としても使われ、「本能寺の変」の戦闘が起こった場所でもある。 歴史・概略 この場所は、平安時...
城跡

豊臣秀吉妙顕寺城跡

京都府京都市にあった羽柴秀吉(豊臣秀吉)の屋敷跡。 歴史・概略 天正10年6月2日(1582年6月21日)に起った「本能寺の変」により、織田家臣団の中で権...
邸宅・住居跡

染殿井(京都御苑・藤原良房染殿第跡)

平安時代前期の公卿・藤原良房の屋敷があった場所。 歴史・概略 藤原良房(ふじわら・よしふさ)は平安時代前期の公卿。文徳天皇(もんとくてんのう)の皇位継承に...
京跡・宮跡

土御門内裏跡

平安時代後期に使われた里内裏跡。 歴史・概略 もともとこの場所には、村上天皇の第7皇子で村上源氏の祖となった具平親王(ともひらしんのう)の邸宅があり、曾孫...
寺社

得長寿院跡

平安時代に建立された得長寿院の跡。 歴史・概略 得長寿院(とくちょうじゅいん)は天承2年(1132年)、白河に建立された鳥羽上皇の御願寺のひとつである。 ...
寺社

延勝寺跡

平安京北東の白河にあった平安時代に建立された延勝寺の跡。 歴史・概略 延勝寺(えんしょうじ)は、平安時代後期の近衛天皇により建立され、久安5年(1149年...
寺社

成勝寺跡

平安時代後期、平安京北東にある白河に建立された成勝寺の跡。 歴史・概略 成勝寺(せいしょうじ・じょうしょうじ)は、平安時代後期の崇徳天皇(すとくてんのう)...
寺社

白河院跡(法勝寺跡)

藤原氏の別荘、および白河上皇が建立した法勝寺(ほっしょうじ)の跡。 歴史・概略 白河院は、平安時代初期の公家で藤原氏全盛の礎となった藤原良房が、この場所に...
京跡・宮跡

白河南殿跡

平安時代後期に使用された白河上皇の院御所跡。 歴史・概略 白河天皇(しらかわてんのう)は平安時代後期、まだ幼い堀河天皇、鳥羽天皇を即位させ、自身は白河院と...
京跡・宮跡

白河北殿跡

平安時代後期に使用された白河上皇の院御所跡。後の「保元の乱」の戦闘が起こった場所のひとつ。 歴史・概略 白河天皇(しらかわてんのう)は平安時代後期の天皇で...
墓・慰霊碑

池田屋事変殉難志士墓所跡(三縁寺跡)

池田屋事件で犠牲となった志士たちの墓所跡。 歴史・概略 元治元年6月5日(1864年7月8日)、尊攘派志士たちが潜伏していた宿屋を、京都の治安維持を担う新...
邸宅・住居跡

伏見城武家地 黒田長政下屋敷跡参考地

伏見城に置いた黒田長政の屋敷のひとつがあったと考えられる場所。 歴史・概略 木幡山伏見城(こはたやまふしみじょう)は、豊臣秀吉が「慶長伏見地震」により倒壊...
邸宅・住居跡

伏見土佐藩邸跡

江戸時代、土佐藩が京都伏見に置いた藩邸跡。 歴史・概略 伏見の町は豊臣秀吉の伏見城築城によって城下町が形成されて以降、京都の中心部と大阪とを結ぶ物流の要衝...
邸宅・住居跡

伏見長州藩邸跡

江戸時代、長州藩が京都伏見に置いた藩邸跡。 歴史・概略 伏見の町は、豊臣秀吉が築城した伏見城の城下町が形成されて以降、京都の中心部と大阪とを結ぶ物流の要衝...