江戸幕府末期、外国勢力あるいは倒幕勢力から京都を守るため築かれた砲台跡で、京都の入口にあたる高浜と淀川対岸の樟葉に設置された。
歴史・概略
- 幕末期、外国船が日本近海にたびたび現れるようになり、京都を防備するため淀川に台場の設置を決定。淀川西岸に高浜砲台と梶原台場、東岸に樟葉台場(くずはだいば)が設置され、慶応2年(1866年)に高浜砲台が完成した。
高浜砲台と梶原台場は幕府寄りであった藤堂藩(津藩)、樟葉台場は徳川譜代の小浜藩が守備した。 - 慶応4年1月3日(1868年1月27日)に発生した「鳥羽伏見の戦い」では、旧幕府軍は新政府軍との戦闘に敗れ、大坂方面へと撤退した。旧幕府軍は淀城で体制を整えようとしたが、入城を断られたため橋本に兵力を展開した。
- 1月6日、高浜砲台を守っていたはずの藤堂藩は新政府軍側につき、旧幕府軍がいる橋本南側の樟葉台場に向かって砲火を浴びせた。突然の砲撃にあわてた旧幕府軍は樟葉砲台から応戦したものの、総崩れとなり撤退することとなった。
- 橋本での敗北の報せを聞いた徳川慶喜は、この日の夜に大阪城より逃亡、江戸へと退却した。「鳥羽伏見の戦い」は、総大将の逃亡という事態によって終結、慶喜は朝敵となった。
見どころ・おすすめ
- 当時を思わせるものは何もなく、石碑が立てられているのみ。淀川の土手に登れば砲撃を加えたであろう樟葉方面は、一応見渡すことはできる。
史跡情報
地図 |
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【場所】 大阪府三島郡島本町高浜 【付近の史跡】
[ 東・約1km ] 樟葉台場跡(鳥羽・伏見の戦い)
[ 北西・約1km ] 史跡櫻井駅跡
[ 北・約1.3km ] 水無瀬神宮(後鳥羽天皇宮跡)
[ 北・約1.4km ] 後鳥羽上皇水無瀬宮址
[ 東・約1.9km ] 樟葉宮跡(継体天皇)
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・阪急電車「水無瀬」駅から約0.6Km ・JR「島本」駅から約1.2Km 【バス】 ・高槻市営バス「淀の原北」バス停 ・阪急バス「阪急水無瀬」バス停 【マイカー】 ・名神高速道路「大山崎IC」から約4Km |