邸宅・住居跡 | ページ 6 | 場所と地図 – 歴史のあと

邸宅・住居跡

京跡・宮跡

五辻殿址

五辻殿(いつつじどの)は鎌倉時代初期、後鳥羽上皇の院御所として使用された邸宅跡。 歴史・概略 後鳥羽上皇の母・藤原殖子(ふじわらたねこ)の弟・坊門信清(ぼ...
邸宅・住居跡

薩摩藩邸之址(京都)

江戸時代、島津氏が藩主を務める薩摩藩が京都に置いた藩邸跡。 歴史・概略 京都の薩摩藩邸は、現在の同志社大学にあった二本松藩邸が有名であるが、二本松藩邸が置...
京跡・宮跡

三条烏丸御所跡

平安時代後期に建てられた藤原氏の邸宅跡、および御所跡。三条桟敷殿、三条南殿とも呼ばれた。 歴史・概略 この場所は御所のあった北側にあたり、この石碑から南方...
京跡・宮跡

豊臣秀勝邸跡伝承地・平安宮内裏蘭林坊跡

平安京大内裏の蘭林坊(らんりんぼう)があった場所。また、豊臣秀吉の聚楽第があった時代には豊臣秀勝の邸宅があったと推定されている。 歴史・概略 延暦13年(...
京跡・宮跡

平安宮内裏承香殿跡

平安京大内裏の承香殿(じょうきょうでん・しょうきょうでん)があった場所。 歴史・概略 平安京(へいあんきょう)は延暦13年(794年)、桓武天皇によって長...
京跡・宮跡

平安宮内裏弘徽殿跡

平安京大内裏の弘徽殿(こきでん)があった場所。 歴史・概略 平安京は延暦13年(794年)、桓武天皇によって長岡京より遷都され、以来1000年に渡って日本...
京跡・宮跡

平安宮内裏宜陽殿跡

平安京大内裏における殿舎のひとつ宜陽殿(ぎようでん)があった場所。 歴史・概略 平安京(へいあんきょう)は延暦13年(794年)、桓武天皇(かんむてんのう...
京跡・宮跡

平安宮内裏綾綺殿跡

平安宮の殿舎のひとつ綾綺殿(りょうきでん)があった場所。 歴史・概略 延暦13年(794年)、桓武天皇(かんむてんのう)によって長岡京より平安京(へいあん...
京跡・宮跡

平安宮内裏昭陽舎跡

平安宮内に建てられた殿舎のひとつ昭陽舎があった場所。 歴史・概略 延暦13年(794年)、桓武天皇(かんむてんのう)によって長岡京より平安京(へいあんきょ...
京跡・宮跡

高松殿跡

平安時代、歴代上皇が院御所とした邸宅跡。 歴史・概略 平安時代初期、醍醐天皇の皇子・源高明(みなもとのたかあきら)が邸宅としたことに始まり、院政期には白河...
邸宅・住居跡

東三条殿跡

平安時代、政治権力の中枢に君臨し続けた藤原氏の邸宅跡、および御所跡。 歴史・概略 東三条殿(ひがしさんじょうどの・とうさんじょうどの)は、平安時代初期から...
京跡・宮跡

高倉宮趾

平安時代後期の皇族・以仁王の邸宅跡。 歴史・概略 以仁王(もちひとおう):仁平元年(1151年)~治承4年(1180年) 院政期に絶大な権力を握った後白河...
邸宅・住居跡

足利尊氏邸・等持寺跡(室町幕府発祥の地)

室町幕府を開いた初代将軍・足利尊氏の屋敷である二条万里小路第・三条坊門第があった場所。 室町幕府の由来ともなっている室町第が御所となったのは、3代将軍・義満以降...
邸宅・住居跡

俊寛僧都鹿谷山荘跡

平安時代後期、平家打倒の謀議が行われた鹿ケ谷山荘があったとされる場所。 歴史・概略 平清盛を中心に平氏一門が隆盛を極めた平安時代末期、後白河法皇の近臣たち...
京跡・宮跡

二条殿跡「本能寺の変」戦地

「本能寺の変」において、織田信長の嫡男・織田信忠が明智光秀の軍勢と戦い討死した場所。 歴史・概略 天正5年(1577年)、信長が当時公家の二条邸だった場所...
京跡・宮跡

法住寺殿蹟

平安時代末期、後白河上皇が拠点とした御所跡。 歴史・概略 この地には平安時代中期の公卿・藤原為光によって創建された法住寺があったが、長元5年(1032年)...
寺社

六波羅蜜寺(平氏六波羅第・六波羅探題府址碑)

天暦5年(951年)、市聖(いちひじり)と呼ばれた空也上人によって開かれた真言宗寺院。 歴史・概略 空也上人(くうやしょうにん)は平安時代中期の僧で、当時...
寺社

六孫王神社

清和源氏の祖・源経基を祀る神社。 歴史・概略 ここは源経基(みなもと・つねもと)の邸宅八条亭(六宮、または八条御所ともいう)があったとされる場所で、清和天...
邸宅・住居跡

角屋

京都の花街・島原にある揚屋のひとつで、今も江戸時代に島原ができた当時の建物が残っている。 歴史・概略 揚屋とは今の料亭のようなところで、置屋から大夫や芸妓...
邸宅・住居跡

源融河原院跡

平安時代の元皇族で政治家・源融の邸宅跡。 歴史・概略 源融(みなもとのとおる)は平安時代初期に在位した嵯峨天皇の皇子で、長きにわたり朝廷に仕え従一位・左大...