邸宅・住居跡 | ページ 8 | 場所と地図 – 歴史のあと

邸宅・住居跡

城跡

大内裏及聚楽第東濠跡

平安京の大内裏跡、および豊臣秀吉が京都に築いた邸宅・聚楽第跡。 歴史・概略 平安京の政庁であった大内裏の北東部分に当たる場所。 大内裏は平安時代初期の頃から...
城跡

聚楽第跡(本丸西濠跡)

豊臣秀吉が京都に築いた邸宅・聚楽第跡。 歴史・概略 聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)は、関白となった豊臣秀吉が京都に置いた政庁兼邸宅である。天正14年(1...
邸宅・住居跡

千利休居士聚楽屋敷址

平安時代に活躍した陰陽師・安倍晴明を祀る晴明神社が建つ地は、かつて茶人千利休が屋敷を構えており、境内には当時茶湯に用いたとされる井戸が現存する。 歴史・概略 ...
寺社

安倍晴明公居館之趾(晴明神社)

晴明神社は平安時代に陰陽師として活躍した安倍晴明を祀る神社で、かつては晴明の屋敷があった場所とされる。 歴史・概略 安倍晴明(あべ(の)せいめい)は、平安...
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黒田如水邸跡(京都)

豊臣政権時代、京都聚楽第付近に設けた黒田官兵衛(如水)の屋敷があった場所。 歴史・概略 聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)は、関白となった豊臣秀吉が、天...
邸宅・住居跡

聚楽城上杉景勝屋敷跡・細川勝久屋敷跡

「応仁の乱」における有力武将のひとり細川勝久の屋敷跡、および豊臣秀吉が京都に築いた聚楽第に上杉景勝が置いた屋敷跡とされる。 歴史・概略 【細川勝久】ほそか...
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斯波氏武衛陣・足利義輝邸遺址

室町時代初期の室町幕府管領・斯波義将(しばよしゆき)の邸宅跡。その後室町幕府13代将軍足利義輝の邸宅ともなった。 歴史・概略 斯波氏は室町幕府において将軍...
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山名宗全旧蹟

室町時代最大の戦乱のひとつ「応仁の乱」で、西軍の総大将となった山名宗全の邸宅があった場所。 歴史・概略 乱のきっかけとなったのは室町幕府管領畠山氏の後継争...
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山名宗全邸跡

京都の街を戦乱に巻き込んだ「応仁の乱」において、総大将として西軍を率いた山名宗全が構えていた邸宅跡。 歴史・概略 山名宗全(やまな・そうぜん)は、近畿・中...
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薩摩藩邸跡(京都)

江戸時代後期に御所の北側に設けた薩摩藩邸跡(現・同志社大学)。 歴史・概略 文久2年(1862年)、それまで薩摩藩が使用していた錦小路藩邸が手狭であったこ...
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足利将軍室町第址(室町幕府御所)

室町幕府の時代、足利将軍家が邸宅としていた室町第(室町邸)があった場所。 歴史・概略 室町第(むろまちてい・むろまちだい)は京都御所のすぐ近くに位置してお...
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角倉了以別邸跡

京都の豪商・角倉了以が京都市中心部に流れる高瀬川源流部に建設した屋敷跡。 歴史・概略 角倉了以(すみのくら・りょうい)は、江戸時代初期の京都の豪商。茶屋四...
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角倉氏邸址

京都高瀬川の開削を行った京都の豪商・角倉了以の邸宅があった場所。 歴史・概略 角倉了以(すみのくら・りょうい)は、豊臣秀吉の時代、安南国(ベトナム)と朱印...
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桂小五郎・幾松寓居跡

維新で活躍した桂小五郎が恋仲となった京都三本木の芸妓・幾松と幕末の動乱の中過ごした寓居跡。 歴史・概略 桂小五郎(かつら・こごろう)は、天保4年6月26日...
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長州屋敷跡

京都御池通り沿いにあるホテルオークラの建つ辺り一帯は、江戸時代、毛利氏を藩主とする長州藩の藩邸があった。 歴史・概略 幕末の京都は尊王攘夷派の動きが活発で...
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加賀藩邸跡

江戸時代初期から明治時代初期にかけて、加賀藩が京都に置いた藩邸があった場所。 歴史・概略 加賀藩は豊臣政権における五大老のひとり前田利家を祖とする外様大名...
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佐久間象山寓居址

幕末の思想家・佐久間象山の京都における寓居跡。 歴史・概略 佐久間象山(さくま・しょうざん)は、文化8年(1811年)に信濃松代藩士・佐久間国善の長男に生...
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武市瑞山先生寓居跡

土佐勤王党を結成した武市瑞山が京都滞在中に身を置いた場所。 歴史・概略 武市瑞山(たけち・ずいざん)は土佐藩郷士の家に生まれ、同じく土佐藩郷士であった坂本...
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吉村寅太郎寓居址

幕末の尊王攘夷派の志士・吉村寅太郎が京都で身を寄せた場所。 歴史・概略 吉村寅太郎(よしむら・とらたろう)は天保8年(1837年)、土佐藩の庄屋の家に生ま...
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松下村塾

江戸時代末期、吉田松陰によって萩城下に開かれた私塾。 歴史・概略 吉田松陰(よしだ・しょういん)は長州藩士の杉家に生まれ、幼名を寅之助といった。後に叔父で...