京都 | ページ 12 | 場所と地図 – 歴史のあと

京都

京跡・宮跡

法住寺殿蹟

平安時代末期、後白河上皇が拠点とした御所跡。 歴史・概略 この地には平安時代中期の公卿・藤原為光によって創建された法住寺があったが、長元5年(1032年)...
寺社

六波羅蜜寺(平氏六波羅第・六波羅探題府址碑)

天暦5年(951年)、市聖(いちひじり)と呼ばれた空也上人によって開かれた真言宗寺院。 歴史・概略 空也上人(くうやしょうにん)は平安時代中期の僧で、当時...
寺社

三十三間堂(蓮華王院)

平安時代末期、後白河上皇によって創建された寺院。現在では新成人が袴姿で矢を射る「通し矢」が行われる場所としてよく知られている。 歴史・概略 この地には後白...
寺社

六孫王神社

清和源氏の祖・源経基を祀る神社。 歴史・概略 ここは源経基(みなもと・つねもと)の邸宅八条亭(六宮、または八条御所ともいう)があったとされる場所で、清和天...
寺社

東寺

平安京遷都より続く京都にある真言宗寺院で教王護国寺(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる。高野山を開いた平安時代の高僧空海ゆかりの寺として知られている。 歴史・概...
邸宅・住居跡

角屋

京都の花街・島原にある揚屋のひとつで、今も江戸時代に島原ができた当時の建物が残っている。 歴史・概略 揚屋とは今の料亭のようなところで、置屋から大夫や芸妓...
京跡・宮跡

東鴻臚館址(平安京)

平安京に作られた外交使節を接待するための施設跡。今の迎賓館にあたる施設跡。 歴史・概略 鴻臚館(こうろかん)は九州の筑紫や大阪の難波などにも見られ、平安京...
その他遺跡

島原西門碑

京都の花街「島原」の西側に建てられた門跡。 歴史・概略 寛永18年(1641年)、六条三筋町にあった傾城町が朱雀野と呼ばれたこのあたりに移転したことに始ま...
邸宅・住居跡

源融河原院跡

平安時代の元皇族で政治家・源融の邸宅跡。 歴史・概略 源融(みなもとのとおる)は平安時代初期に在位した嵯峨天皇の皇子で、長きにわたり朝廷に仕え従一位・左大...
寺社

若宮八幡宮(河内源氏屋敷)

平安時代、河内源氏累代の邸宅として使われた六条堀川館跡。 歴史・概略 平安時代中期の武将で河内源氏の棟梁・源頼義(みなもとよりよし)が屋敷を構えたことに始...
事件

中井正五郎殉難地

慶応3年12月7日(1868年1月1日)に起こった天満屋事件の現場となった京都の旅籠・天満屋があった場所。この戦闘で犠牲となった中井正五郎の碑が立つ。 歴史・...
寺社

西本願寺

浄土真宗本願寺派の本山で正式名称は龍谷山本願寺。 一般には西本願寺と呼ばれる。 歴史・概略 豊臣秀吉の時代、秀吉の寄進によってこの場所に寺院を構えた。秀吉...
事件

伊東甲子太郎外数名殉難之跡

御陵衛士(ごりょうえじ)の伊東甲子太郎(いとうかしたろう)が新選組に襲撃され絶命した場所。 歴史・概略 この事件の起こる数か月前の慶応3年3月(1867年...
邸宅・住居跡

新選組最後の洛中屋敷跡

幕末の京都で反幕府勢力の監視や取り締まりなどを行った新選組が置いた3つ目の屯所跡。 歴史・概略 新選組はこの不動堂村に移る以前、ここから数百メートル北に行...
邸宅・住居跡

不動堂村屯所跡(新選組)

幕末の京都で市中警護にあたった新選組の洛中最後の屯所となった不動堂村屯所跡。 歴史・概略 新選組が最初に屯所とした壬生で約2年を過ごし、隊員の増加に伴って...
京跡・宮跡

平安京朱雀大路跡

平安京造成当初、中央を南北に貫いていた朱雀大路の跡。 歴史・概略 朱雀大路(すざくおおじ)は平安京のメインストリートともいえる通りで、北は大内裏の朱雀門か...
邸宅・住居跡

左女牛井之跡(河内源氏屋敷)

京の名水のひとつ左女牛井の跡。平安時代に活躍した武将源頼義や源義家ら河内源氏の屋敷跡とされる。 歴史・概略 左女牛井(さめがい)は平安時代より京の名水とし...
邸宅・住居跡

旧前川邸(新選組屯所)

幕末の京都で活躍した新選組が結成当初に屯所として使用した邸宅跡。 歴史・概略 文久3年(1863年)、清河八郎(きよかわ・はちろう)が働きかけ幕府は将軍上...
邸宅・住居跡

八木邸(新選組屯所)

江戸時代末期、京都で倒幕勢力の取り締まりに従事した武装集団・新選組の屯所跡。 歴史・概略 文久3年(1963年)、将軍徳川家茂の上洛警護のため江戸で集めら...
寺社

壬生寺

延命地蔵菩薩を本尊とする律宗の寺院。幕末に活躍した新選組ゆかりの寺として知られる。 歴史・概略 正暦2年(991年)、園城寺(三井寺)の僧快賢によって開基...