京都 | ページ 14 | 場所と地図 – 歴史のあと

京都

寺社

法成寺跡(藤原道長創建)

法成寺(ほうじょうじ)は平安時代から鎌倉時代にかけて、京都にあった仏教寺院。栄華を極めた藤原道長が創建し、最後を迎えた場所である。 歴史・概略 碑文「従是...
京跡・宮跡

冷然院跡

平安時代初期から中期にかけて、天皇の離宮や後院(ごいん)となった冷然院(冷泉院)の跡。 歴史・概略 冷然院(れいぜいいん)の始まりは、平安時代初期に嵯峨天...
邸宅・住居跡

板倉勝重・重宗屋敷跡

江戸幕府初期、京都所司代を務めた板倉勝重・重宗父子の屋敷跡。 歴史・概略 板倉勝重(いたくら・かつしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて徳川家康に...
邸宅・住居跡

聚楽城上杉景勝・直江兼続屋敷跡

京都・聚楽第の武家地。上杉景勝と直江兼続の屋敷があったと考えられている場所。 歴史・概略 天正15年(1587年)、関白となった豊臣秀吉が政務をとる拠点と...
城跡

聚楽城鵲橋旧蹟

豊臣秀吉が関白として政務を執った聚楽第の跡地。 歴史・概略 聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)は、豊臣秀吉が関白としての政務を果たすための拠点として、かつて...
城跡

聚楽第南外濠跡

豊臣秀吉が一時期本拠としていた京都・聚楽第の跡。 歴史・概略 聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)は、関白に就任した豊臣秀吉が、かつての平安京大内裏跡に築城し...
城跡

大内裏及聚楽第東濠跡

平安京の大内裏跡、および豊臣秀吉が京都に築いた邸宅・聚楽第跡。 歴史・概略 平安京の政庁であった大内裏の北東部分に当たる場所。 大内裏は平安時代初期の頃から...
城跡

聚楽第跡(本丸西濠跡)

豊臣秀吉が京都に築いた邸宅・聚楽第跡。 歴史・概略 聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)は、関白となった豊臣秀吉が京都に置いた政庁兼邸宅である。天正14年(1...
邸宅・住居跡

千利休居士聚楽屋敷址

平安時代に活躍した陰陽師・安倍晴明を祀る晴明神社が建つ地は、かつて茶人千利休が屋敷を構えており、境内には当時茶湯に用いたとされる井戸が現存する。 歴史・概略 ...
寺社

安倍晴明公居館之趾(晴明神社)

晴明神社は平安時代に陰陽師として活躍した安倍晴明を祀る神社で、かつては晴明の屋敷があった場所とされる。 歴史・概略 安倍晴明(あべ(の)せいめい)は、平安...
邸宅・住居跡

黒田如水邸跡(京都)

豊臣政権時代、京都聚楽第付近に設けた黒田官兵衛(如水)の屋敷があった場所。 歴史・概略 聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)は、関白となった豊臣秀吉が、天...
邸宅・住居跡

聚楽城上杉景勝屋敷跡・細川勝久屋敷跡

「応仁の乱」における有力武将のひとり細川勝久の屋敷跡、および豊臣秀吉が京都に築いた聚楽第に上杉景勝が置いた屋敷跡とされる。 歴史・概略 【細川勝久】ほそか...
邸宅・住居跡

斯波氏武衛陣・足利義輝邸遺址

室町時代初期の室町幕府管領・斯波義将(しばよしゆき)の邸宅跡。その後室町幕府13代将軍足利義輝の邸宅ともなった。 歴史・概略 斯波氏は室町幕府において将軍...
城跡

旧二條城跡(足利義昭御所)

京都府京都市にあった戦国時代末期の平城。 室町幕府最後の将軍・足利義昭(あしかが・よしあき)の居城として知られる。 歴史・概略 永禄11年9月(1568年)、...
邸宅・住居跡

山名宗全旧蹟

室町時代最大の戦乱のひとつ「応仁の乱」で、西軍の総大将となった山名宗全の邸宅があった場所。 歴史・概略 乱のきっかけとなったのは室町幕府管領畠山氏の後継争...
邸宅・住居跡

山名宗全邸跡

京都の街を戦乱に巻き込んだ「応仁の乱」において、総大将として西軍を率いた山名宗全が構えていた邸宅跡。 歴史・概略 山名宗全(やまな・そうぜん)は、近畿・中...
邸宅・住居跡

薩摩藩邸跡(京都)

江戸時代後期に御所の北側に設けた薩摩藩邸跡(現・同志社大学)。 歴史・概略 文久2年(1862年)、それまで薩摩藩が使用していた錦小路藩邸が手狭であったこ...
邸宅・住居跡

足利将軍室町第址(室町幕府御所)

室町幕府の時代、足利将軍家が邸宅としていた室町第(室町邸)があった場所。 歴史・概略 室町第(むろまちてい・むろまちだい)は京都御所のすぐ近くに位置してお...
邸宅・住居跡

角倉了以別邸跡

京都の豪商・角倉了以が京都市中心部に流れる高瀬川源流部に建設した屋敷跡。 歴史・概略 角倉了以(すみのくら・りょうい)は、江戸時代初期の京都の豪商。茶屋四...
邸宅・住居跡

角倉氏邸址

京都高瀬川の開削を行った京都の豪商・角倉了以の邸宅があった場所。 歴史・概略 角倉了以(すみのくら・りょうい)は、豊臣秀吉の時代、安南国(ベトナム)と朱印...